三原康裕。

『Maison MIHARA YASUHIRO(メゾン ミハラヤスヒロ)』 デザイナー。

1972年6月日本長崎県生まれ。

 

現在48歳になった彼は、一体どんな人物なのか。

彼が繰り出すクリエーションとは。

 

 

今回は、”WHO is Yasuhiro Mihara?” シリーズ第一弾ということで、三原がどのようにシューズ製作をスタートしたのか、その背景をメディアに語った言葉から追っていきます。

 

 

 

 

 

 

〜 The Start of shoe making 〜

 

長崎の故郷を離れ、多摩美術大学で美術を学びながら在学中に独学でシューズ作りをスタートした三原。

 

「僕は美術大学に通っていたのですが、当時は15〜30倍くらいの倍率があって、2浪して入った。浪人していた頃から4年間をどう過ごすか、作家として何かを作る方向を見出さなきゃいけないと思っていたんですよ。絵画も彫刻も建築も、自分より優れた人間なんていっぱいいるのはわかっていて、でも作品を作るうえで必要なことは、小さな頃から気づいていたように、信念を哲学がなければならないと。そうでなければ上手であっても、薄っぺらく何も伝わらないものになってしまう。僕は母親が油絵を描いていたこともあって、頻繁に美術館に行く機会があったのですが、絵や彫刻を触ると学芸員の方にすごく怒られるんですよ。画家や作者が好きに作ったものを第三者が価値を決定して、その作品という価値を保存するために隔たりと距離感が生じていく。本来絵の力や美しさ、訴えかけてくる信念に感動するといった概念的な価値ではなく、いつしか物質としての価値の方が勝っていってしまうと感じ、そうなれば人と芸術が調和しないと思ったんです。」

 

「人と芸術を調和させるためには、どうするべきか、本当に長い間考えて、絵を描いても結局そこまで情熱は湧かなかったし、二、三日寝ずにやれることと、寝ても覚めてもやれるような、圧倒的な情熱を持てるものってすごく難しいんだよね。どうして靴になったかというと、作り方が全く分からなかったから。僕の世代は小さい頃からプラモデルで遊んだりして、モノを見た時に頭の中に設計図がある程度イメージできるんだけど、靴に関しては、どうして先っぽが丸くなるのか、革がピカピカになるのか分からなかったし、20世紀も終わるとしている頃に木型があるなんて思いもしなかった。大学2年生の頃から靴作りをはじめたけど、誰にも方法を教わらずに取り組むというのはとてもおもしろくて、失敗を重ねる中で学んでいくから、ひとつひとつが発見になるんだよね。その過程で人と出会って教わったりすると、自分が発明したと思った技術は靴作りをする人にとっては当たり前のことだったりしてさ。だからモノの根本的な作り方はあっても、どこかでそれを捨てきらなければ新しいものは生まれないと思うようになった。」

                              2019年10月発行 GRINDより

 

 

今ではパリのファッションウィークに参加し、ウエアのコレクションを毎シーズンランウェイショーで発表する三原だが、彼がクリエーションを始めにスタートさせたのは、革靴だった。

 

なぜ靴だったのか。

 

それは、”作り方が全く分からなかったから”。

 

どうして先っぽが丸くなるのか、革がピカピカになるのか…….。

 

誰に教わることもなく、我流で靴作りをスタートさせた三原は、さまざまな発見と創造を生み出していきます。

 

 

しかしながら物づくりは、大抵どんなものでも基礎的なことは無くしてデザインの成り立ちは難しい。

ご存知の通り、特に靴作りには欠かせないものです。

 

 

三原は、東京・浅草で一人の靴職人と出会う。

 

 

 

 

 

「”1回、いや2回断ったのかな。” 木型もなしで作った、巾着みたいな靴を持ってきてね。教える気なんて全くなかったんだけど、当時、三原くん、近くの問屋でアルバイトをしていて、朝一度来て、掃除、片付けして、学校へ行って、また来てって、立川と浅草を毎日2往復していたんですよ。その姿を見ているうち、強い意志というか不屈の精神のようなものを感じたんです。それで木型の作り方を教えるようになった。変なことをするのはもうわかってたから、木型も甲からいじってはいけないってルールを与えたんですけど、ひとつ目に見せられたのがユニコーンみたいにトゥにツノの生えたやつ。”どうするの? 作れないよ”って。そのあとも見たことないものばかり作ってきて、どうしようかと思ったけど、でも、そういう時って男気が勝つんですよね。僕も腹をくくって、できないものはできないとはっきり言うけど、可能性があるものは作るから、なんでも持ってこいと。それがはじまり。」

 

2018年9月発行 GRINDより

 

 

『MIHARA YASUHIRO (ミハラヤスヒロ) 』の靴作りを長年支え続けている靴職人の早川は、当時の三原についてこのように語っている。

 

 

 

その後、1996年に靴メーカーのバックアップものとオリジナルブランドをスタートさせ、翌年1997年には『MIHARA YASUHIRO (ミハラヤスヒロ) 』を立ち上げることになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから23年。

変わらず靴作りへの情熱を持ち続け、今では三原と早川2人のレクチャーによる靴教室を表参道ヒルズ店にて定期開催するなど、靴作りの楽しさを伝える場所があります。

 

 

 

 

 

 

今回は、ここまで。

また次回の”WHO is Yasuhiro Mihara?” シリーズを、お楽しみに。

 

 

オフィシャルオンラインストアで発売中のシューズは、こちらから。

Maison MIHAR YASUHIRO Shoes

 

 

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